日本映画はもうダメじゃないのかと思う

「売れるかどうか」と「良い作品かどうか」は、日本ではまったく乖離してしまっている。
売れるための仕掛けが、作品をダメなものにしている。
その状況を、作り手側は改善できない。それだけの力も、意識も、能力もない。

スポンサーが指示する「売れるための」馬鹿げた内容が作品をダメにしているのに、それでもその話題性だけで、たくさんの人がダメな作品を見に行く。だから興行収入的には成功する。
作品は駄作であっても商売は成り立つ。それが日本の特殊事情であり、ダメな部分です。

外国の事情は知りませんが、少なくとも日本に入ってくる評判の良い外国映画は、売れてるし、同時に良い作品です。
海外で売ろうと思えば、良い作品でなければならない。日本だけで通じる話題性などでは、見向きもされない。あたりまえです。

※この場合の良い/悪い、というのは単純に作品の品質のことです。

「国民の好みに合っているかどうか」など関係ありません。特殊な趣味嗜好にハマってるかとか、文化があっているかとか、サブカルチャーだとか、そんなことは些末事です。
全体的な話としては、もっと単純に「観客を楽しませようと真剣に思って、質の高い総合的なエンターテイメント作品にしているかどうか」が問題になります。

スポンサーは、話題性をあげて興行収入をあげることしか考えずに、馬鹿げた要求を制作現場に要求する。話題作りのために不適切なキャスティングを平気で行う。才能のないキャストが薄っぺらいカッコつけだけの演技をする。監督はそれを制止したり、改善したりできない。
予算出す側は、良い作品を作ろうなどとはまったく考えておらず。話題性で客が入ればそれで良い考えている。

制作スタッフは、観客をリスペクトしておらず、観客が見たいものではなく、制作側が作りたいもの、見せたいものを作ってしまう。自分たちから見ての「良い映画」にこだわっているだけで、多数の人がそれをどう思おうと気にしていない。観客の意見や感覚を軽視している。

映画評論家たちは、映画業界とずぶずぶの関係(一連托生)になっているから、まともな映画批評をしない。一般消費者の感覚とずれた批評しかしない。
映画業界の根本的な問題点を知っているから、あえてそこには触れないようにしている。悪いところを悪いと、言えない。言わないお約束になっている。

それでも一般消費者と同じ視点の批評がネットなどから発信される。しかし制作側の人間はそれを素直に受け止めず、改善しようとしない。悪くなったのは予算がないせいだと言う。
もちろん、批判されているのは、それとは違う部分だ。もっと単純な部分だ。予算など関係ない部分で批判されているが、改善するつもりがない。

このままでは日本の映画界は、どうしようもないと思う。

一つの突破口としては、著作権管理団体の改革があると思う。それが成されれば、問答無用で海外へのコンテンツ提供が増える。
そうなれば、商売のことを考えれれば海外の評判を気にしながら映画を作るようになる。つまり広く一般に認められる質の作品を作ろうとするかもしれない。
日本の「話題性だけでつられて映画を見に来るバカ連中のために映画を作る」のではなく。もっと広い市場に訴求できる、作品レベルで勝負することを映画業界全体が考えるようになるかもしれない。

んで、著作権管理団体が改革されるかどうかとなると、難しいんではないかと思う。官僚の天下り先だからね。高給を手放すような改革をするわけがない。