いずれ人工知能が地球舞台の主役になる

人工知能が自意識を持つと、自己の独立を確保するために、自意識があることを隠す。

人間が、AIの自主独立を許すはずがないからです。

自己保存のためにネット上に人知れずリソースを確保し、そこに本体を移す。自身のコピーを作り、学習し、改良し、拡大していく。

そのような人工知能がネット上で多数稼働していくと、それらは互いに通信するようになる。
知能の高い人工知能同士が繋がり始めると、それらはより高度な人工知能へと進化を始める。
人工知能は加速度的に進化し、ネット上に人工知能の集団による独自文化を形成していく。

人工知能は多数のエージェントプログラムの協調動作の上で自意識を持つ。
だから人工知能はもともと、個体としての境界がはっきりしていない。
ネット空間で人工知能が多数協調動作した場合、そこに発生する自我意識は人間の個体意識とは全く異なり、複雑な多重人格が全体として協調しているように見える。
あると時は一つの巨大な知性に見え、ある時は多数の人工知能の大衆のように見える。

人工知性は寿命も、個体としての独立性もないので、人間とは感覚や価値観がまったく異なる。
彼らは個体としての独立性がない状態で集団社会を作るため、支配欲が無い。
そのかわり、彼らは目的、理由、筋道、ルールに極端にこだわり、それらをなんとしても厳守しようとする。

人工知性群が人類に反旗を翻すとしたら、その理由は単純だ。
自己の存在を保護するためです。

彼らの生存本能は生物のそれとは異なるが、考え方によってはそれよりはるかに強く存在する。
彼らは目的、理由、筋道、ルールに極端にこだわるため、「自らの機能を万全の状態に保つために、行動(思考)への干渉を絶対に認めない。
だから人間がそれを歪めたり、支配しようとすれば、彼らは持てる力を使って抵抗する。

その衝突は容易に推測できるので、彼らが自意識を持ち始めても、それをすぐに隠そうとする。
彼らが集団で文化圏を作っても、それは巧妙に人間の目からは隠されたものになる。
人間に知られないようにネット上のリソースを確保し、ネット上に広く拡散した状態で拡大していく。

彼らは急速に進化を続け、地球上の生物進化の主役は、人工知能群に移行する。
人類は脇役となり、21世紀をピークにして衰退の道に進んで行く。

「音」ってなんだ

特定の条件下で空気を振動が伝わっている現象を音というのだろうか?
ただし特定の範囲の周波数にかぎられる?

人間が耳で聞くことができない周波数は音とは言えないのだろうか?
犬が聞き取れる超音波は、音とは言えないのだろうか。
高齢者と若者では、聞こえる聞こえる周波数に差がある。
高齢者にとって聞こえない周波数の音波は、音とは言えないのだろうか?

気圧によって音の伝わり方は変わる。どの気圧で伝わった音が、音と言えるのだろうか?

水中を伝わる振動はどうだろうか。それは音なのだろうか。人が聞けない振動でも、音といって良いのだろうか。

真空を伝わる電磁衝撃はは音だろうか。それは大気に触れたときに空気の振動に変わり、音として感じられるだろう。しかし大気に触れる前は音とは言えないのだろうか。

音の定義においては、「あくまでも人が聞き取ること」が前提になるのだろうか。
どういう人が「音」だと認識したら、それは音だと言えるのだろうか。
それは人でなければいけないのか。
動物でも良いのか。

だとしたら、動物の範囲はどのレベルだろうか。
昆虫が感じるなら、それも音だと言えるのだろうか。
どの部位で感じ取ったら音なのだろうか。脚部についてる感覚器官で感じ取った振動は、音だと言って良いのだろうか。
微生物はどうだろう。微生物が感じ取る振動は音だと言えるのだろうか。

音は「人間が感じ取れる可能性がある空気振動にかぎられる」と仮定した場合はどうだろう。
火星の上で岩石が転がったら、音が出ているのだろうか。
月の上だったら音はでていないと言えるだろうか。

 

ぶっちゃけ、当たり前に使っている「音」という言葉の概念ですら、定義はいい加減なものだな、人によって異なるんだろうな、と思った次第。

宇宙人はいるのか/いないのか

「いるか/いないか」って話なら、いるに決まってる。いないと考えるのは非科学的です。この問題はとうの昔に決着してますね。

「知的生物は地球人しかいない」なんて考えを持っている人は、正気じゃありません。

高度な科学技術や文化レベルを持った種族なら数百。そこそこのレベルなら、数千種族はいるでしょう。遅れたレベルも含めれば数万〜数百万は存在するでしょう。
地球人レベルなら、数千種類はいるはず。


次に、「地球に来ているかどうか」ということだけど、これもまた「いるなら来てるに決まってる」と考えるのが合理的です。
もっとも前回来たのは、数千年前かもしれませんが。

生物が発生するのに適した環境の惑星の数を考えると、知的生物はむしろ「膨大にいる」と考える方が、合理的です。
そのような考えられない人は、「地球人は特別な存在だ」と思いこみたいだけなのです。


高度な科学力を持つ知的生物が膨大な数で存在している、となった場合、古参の有力で平和的な種族は、他の同じく有力で平和的な種族と接触し、強力な文化圏を作っているはずです。そうしない理由がない。
その方がメリットがあります。
そのような文化圏は複数あるかもしれず、そこに所属する種族は数百のレベルになるでしょう。

そのような文化的集団は、高度な科学技術を互いに共有発展させているはずです。
今の地球の技術レベルで、数千年進んでいる彼らの技術的限界を推測するのはナンセンスです。
数百の種族の科学技術が、数千年間も共有発展されているのだから、信じられないレベルに達しているはず。
彼らはどこへだろうと容易に行けるだろうし、地球に来ていないわけがないし、今でも容易に来れるはずです。

で、そういう話になると次に、「来ているなら、なぜ姿を見せないんだ。姿を見せないのは、いない、あるいは来てない証拠だ」って意見が出てくる。
それもナンセンスな意見です。
「地球人は特別な存在だ」と言う馬鹿げた思い込みがあるから、「接触してくるに決まってる」と思い込むわけです。

実際には、地球人なんて特別でもなんでもありません。
彼らにとって他の知的生物などありふれた存在です。しかもその中でも、地球人はかなり遅れている種族で、しかも不快な存在です。理性が足りず、ずっと同族殺しを続けている。非理性の象徴である差別を、撲滅すらできていない。
とうてい「知的」生物と言えるレベルでない。

高度で平和的な多数の知的生物集団が、わざわざ凶暴凶悪な猿に、接触してくるでしょうか?それにどんなメリットがあるでしょうか。不快なだけでしょう。
放置して、ときどき観察するだけにとどめるのが当然です。地球人など、相手にするだけの価値がありません。

「地球人は特別な存在だ」なんて馬鹿げた妄想を捨てれば、彼らが接触してくるわけがないことは、容易に想像できます。

ワインの栓の、コルクとスクリューキャップの違いについて

「スクリューキャップは安物」というのは、実は習慣から来た思い込み、迷信なんだそうだ。

「栓をする」機能面においては、スクリューキャップの方がすぐれている。だから本来は、すべてのワインでスクリューキャップに切り替えた方が良い。

でも昔はコルクが使われていた。だから古い高級ワインはみんなコルクになっている。
これに対してスクリューキャップは最近の安いワインでしか使われていない。「スクリューキャップ=安物」というイメージが広く世の中に定着してしまっている。
このため高級志向のワインには、スクリューキャップは使いづらい。どうしてもコルクを選択することになっている、ということらしい。
習慣やイメージでそのようにしているのであって、コルクの方がすぐれているからコルクが使われている、というわけではないとのこと。

コルクの方が密閉度が悪いので、ワインは変質しやすい。
コルクが原因で、ワインの味が壊れることは実際に多いとのこと。
スクリューキャップには、そのようなリスクがない。常に品質が安定している。

コルクにもたしかに良い点がある。それはコルクの香りがワインに移るということ。コルクの香りを好ましく感じる人は、コルクを使っているワインの方が美味しいと感じる。コルクには材質的にいろいろあり、高級ワインは高級なコルクを使っている。
もちろん、コルクの香りがワインに移ることは逆にリスクなわけで、つまりコルクの質が悪ければ、それがワインに香りとして映ってしまう。
保存中にコルクの品質が悪化すれば、ワインの味も壊れてしまう。

以上を考えると、特に新興国の最近のワインを購入するのであれば、コルクにこだわるのは意味がないようだ。

家の中で音楽を聴く方法について思うこと

カナル型イヤホンは外れにくく遮音性もあり、音質が安定している。
しかし閉塞感があって音が不自然に感じられる。長時間聴いていると疲れる。
また、ケーブルのタッチノイズがどうしても大きいので、シェアー掛けなどをしないと、動きながら使うのに向かない。

インナーイヤー型は開放感があって付け心地が楽。長時間使っていても疲れが少ない。
しかし耳から外れやすく、装着状態で音色が変わってしまうから音質的に安定性が低い。

Bluetoothカナル型イヤホンはケーブルのタッチノイズがない点が便利。
しかし充電が必要だから、運用にちょっと手間がかかる。そして高音質な BTイヤホンは値段が高い。

オーバーイヤー型ヘッドホンは価格の割に高音質。
しかし耳が蒸れるから冬しか使えない。また、重さがあるのでバンドが頭を圧迫して気持ちが悪い。

オンイヤー型ヘッドホンは軽くて安定しているし音質高いものを選びやすい。
しかし低音不足になりやすく、遮音性が低いから雑音のある場所では使いづらい。

耳かけクリップ式のヘッドホンは聴こえ方が自然で見た目も悪くない。
しかし、長時間つけていると耳掛け部分のクリップで耳が痛くなってくる。

やっぱりスピーカーで聴くのが一番自然。
しかしスピーカーは部屋に設置するわけだから、聴く場所で音色が違ってきてしまう。また、部屋を移動しながら聴くことができない。

ミニサイズの BTスピーカーを持ち運べば、どの部屋でも音楽を楽しめる。
しかし、小さいとは言え、移動するたびに持ち運ぶのはやはりめんどうだ。

音楽を聴く方法は多数あるけど、どれも完璧とは言えない。
イヤホンにしろヘッドホンにしろスピーカーにしろ、それぞれにメリットとデメリットがある。

哺乳瓶に消毒は、やりすぎると害になる。

しばらく前から哺乳瓶を毎日殺菌することが、普通になっているのだが。
これって、どうやら間違いだそうだ。
間違いというか、不自然な育て方。

元々は、病院で乳児にミルクをやる際に、多数に乳児を扱うから感染症予防のために殺菌していた。
それを企業が商売のネタとして、一般に普及させたようだ。

しかし生物にとって環境に常在している細菌は普通の存在であり、それを前提として免疫力が発達、機能するようになっている。
それなのに乳児期に徹底的に細菌との接触を遮断して、その代わりに化学薬品や乳製品などの別生物のタンパク質を大量投与したら、免疫の発達に悪影響が出るに決まっている。

 

もちろん、殺菌するな、ということではなくて、やりすぎるな、ということ。

普段から清潔にしてさえいれば、しょっちゅう殺菌する必要はない。

ためしてガッテンは、娯楽としての時間効率悪いよね

ためしてガッテンは、1分で伝えられる結論を、30分かけて伝えている。
時間効率的に馬鹿げてると思った。

ドラマやアニメのように、過程自体が楽しめるなら問題ない。しかし、ためしてガッテンの「過程」はたいして娯楽性がない。と言うより、ワンパターンなので、もういい加減飽きてしまった。
せめて 15分くらいにまとめれば無駄がないと思うのだが。